263.東北本線山線

先日のことですが、飲み会の場で大先輩から「東北本線はかつて、海線と山線があって、岩切から品井沼間で二手に分かれていた。」 というお話しを伺いました。

ネットで調べてみると、いろいろな情報を得ることができたのですが、自分の足で確かめてみたいと思い、本日行ってきました。

ということで、いつもよりは遅めの(笑)仙台駅出発です。



品井沼駅から利府駅まで歩いて確かめてこようと思います。


ということで、品井沼駅に到着。



現在の駅舎は令和2年3月1日から営業開始になったようです。ちなみにかつての駅舎の写真はこちら。



12年前にブロンプトンで輪行した時の写真です。この駅舎も風情があって好きなんですけどね。


駅舎の前にこんな表示がありました。



上図の青色のコースがまさに私が今から歩こうとしているコースです。


線路に沿って歩いていると先日乗った快速湯けむり号が仙台駅に向けて走っていきました。




大菅踏切あたりで新線と旧線に分かれているようです。




別アングルから。



道路が旧線、線路が新線となります。


この道路に沿ってしばらく歩くと、




トンネルが見えてきました。





この写真だけでも、ここがかつて線路だったということが伝わってきます。

もう少し近寄ってみると、



内部に照明は点灯していますが、ちょっと怖いです。(笑)

でも、ここを通らないと次に行けないので通ります。


内部の様子。



おそらく昔は蒸気機関車が通っていたと思うので、天井部分がやけに黒いです。


トンネルを出て、しばらく歩くと、旧線と新線の橋梁。




葉っぱで見えづらいですが、どちらも立派な橋桁です。


タイミングよく、貨物列車が走っていきました。





まだまだ、旧線と新線の並走は続きます。





三陸道をくぐるあたりでいったん、旧線は切れてしまいます。(旧線上に家が立っています)




そして、旧線の上を交差する形で現在の愛宕駅が出てきます。




この辺りからいよいよ旧線の山線跡が出てきます。



利府街道(県道8号)と並行する形で住宅地の中を走っていきます。




すると旧松島駅の駅舎が出てきます。




現在はデイサービスセンターとして使われているようです。


この建物の裏手に回ると、



道路(旧線)が低くなっていますが、高いところはホームの跡とのことです。


ここから山線跡がまだまだ続きます。跡が残っていることに感動しながら歩いていました。





煉瓦造りの橋台がまだ残っています。




右にかろうじて三陸道が見えます。



一旦、山線跡が切れますが、



間も無く、また山線跡が復活します。




左に利府街道、奥に三陸道が見えるなか、山線跡が真っ直ぐに残っています。




煉瓦造りの橋台がまた出てきました。




いかにも電車が通るためのカーブ、といった曲がり具合です。




今はバス停になっていますが、赤沼信号所跡です。




利府街道と並行しながら、まだまだ山線跡は続きます。







煉瓦造りの橋台がまたまた出てきました。




いよいよ利府駅近くとなったところで、山線跡が終わり公園になっていました。

すると、



まさに私が今日体験してきたことを「鉄道の歴史」として表示してありました。


その隣には蒸気機関車の車輪部分のモニュメント。




そしてC58 354の紹介までありました。




最後に現在の利府駅の様子。



ここで線路は終わっていますが、60年前には今日通ってきた道に繋がっていたかと思うと感慨深いものがあります。

利府駅からは電車に乗って帰宅しました。


本日の歩行ルート。



このルートがほぼ山線ということになります。

ちなみに本日、21.3km、30019歩、歩きました。

宮城の歴史を体感できた1日でした。



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